あんまり考えない人の忘備録

とりとめないことを書いていくやつ

「進捗が見える」は大事という話

 

ちょっと前に2回目のワクチン打ってきました。

1回目と2回目で受けた病院が違ったんだけど、そこで感じたのが、1回目の病院との対応の差。

具体的には、受付から帰宅までのフローの差。

 

1回目の病院は、受付済ませたら待合室で名前を呼ばれるまで待機。

名前を呼ばれたら移動して、軽い問診受けて注射して、ちょっと待機して帰宅。まぁこれは一般的だと思う。

 

2回目の病院は、受付から注射までがベルトコンベアみたいに1本のルートになってた。

受付→次の部屋で問診→次の部屋でワクチンの説明→次の部屋で注射→次の部屋で待機→帰宅。

受付を済ませてから1部屋づつ移動してて、気づいたら注射まで行ってた。

 

受付から帰宅までの時間はたぶん大差無いし、摂取したワクチンももちろん同じ。注射もどっちも痛くなかった。

 

なのに、帰宅後に嫁に「2回めの○○病院良かったわー」って伝えてた。

中身は一緒なのに、工程が違うだけで印象がかなり違った。

 

■何が違ったのか

1回目と2回目、結果は先程書いたように同じ。

でも明らかに印象が違った。

理由を考えてみたんだけど、「進捗が見えたこと」だと思う。

1回目の病院では受付済ませたあとに10分くらい待合室で待ってたんだよね。

この時間って、「あとどれくらいで呼ばれるのか」がわからないまま待つから結構苦痛。

いつ呼ばれるかわからないからスマホに集中もできないし。

 

対して2回目の病院は、1ステップごとに部屋を移動することで、手間は増えたけど「進捗」を感じることができて、「待たされてる」感は無かった。

 

■進捗がわかるだけでそんなに違うの?

これは明確に違う。

なんなら世の中の企業の殆どはここを結構意識している。と思う。

例えば、スマホアプリなんかでは「データのダウンロードの進捗をユーザーに数値で見せろ」っていうレギュレーションが存在してる。

ただ「Loading」って表示するだけじゃなくて、「○○%/100%」っていう数値でDLの状況をユーザーに知らせろっていうルール。

これはAppleが「ユーザービリティの向上」のためにルールとして敷いてる。

天下のAppleが「進捗わかったほうがユーザーは嬉しいよね」って言ってるってこと。

飲食店とかの順番待ちも、「今○番をお呼びしてます」ってモニターに表示されてて、「自分の順番まであとどれくらいか」がわかるケース多いよね。

 

「今の進捗はどれくらいなのか」は、思った以上に気になるし、進捗がわからないと結構ストレスだったりする。

進捗がわからないと、「進展してんのか?」「あとどれくらいなんだ?」ってやきもきしてしまう。

 

そういう気持ちに対して安心を与えてあげられるのが「進捗を見せる」という事。

「今ここまで済みました」「次はこのステップですよ」「あとこれくらいで終わりますよ」っていうのがわかるだけで、人は安心できる。

 

冒頭に挙げた1回目の病院でも、やはり「いつ呼ばれるか分からない」状況で待たされるのは地味に苦痛で、文句言うほどでは無いが無意識にストレスを感じると思う。

 

■「進捗が見える」は仕事でも大事

この「進捗が見える」は仕事でも言える。

それが社会人の基礎の「報連相」。

報告・連絡・相談。(であってるよね?)

 

仕事を依頼してる側で「あとどれくらいで終わるのか」が分からない状態で待つのはしんどい。

 

僕も人に依頼した仕事については、そのあとに控える自分のタスクも考慮しながら「あとどれくらいで仕上がるかな」って考えるし、あまりにも進捗が見えないと「あれ、僕の依頼って正しく通ってる?忘れられてない?」って不安になることが多い。

仕事の場合だと納品されたあとに手直しが発生することも結構あるし、なんだったら「うえええ、思ってたんとぜんぜん違うものが送られてきたあああ」とかザラにある。

なので待ってる側はめちゃくちゃ不安と戦っている。

 

そういう時に「あの案件なんですけど今こんな状況なんで、あと○時間くらいで終わります」って連絡が来るとすごく安心できる。

内容の方向性が間違ってないかもチェックできるし、受け取ったあとの自分のタスクの開始時間もわかるから準備もできる。

 

■結論

報連相マジ大事。

人から振られた仕事はこまめに進捗を共有しましょう。

相手は安心するし、もし方向性間違ってたら早い段階で軌道修正できるしね。win-winなのです。

社会人の基礎過ぎて会社でわざわざ教えてくれる人もいないけど、これができるだけで信頼度が段違い。

改めて意識しようと思った。

 

以上、ワクチン打ってきて「進捗が見える」事の重要性に改めて気づいた僕でした。